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メモ日記
 
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題名 はじめての日記/自然に生きる                      
Mon, 2009-10-19 14:42

よく、自然を大切にすることと、自然を放置することを混同していると思うことがある。

自然のままがいい・・・といって、山などに人が入ることを極端に否定するのはおかしい。 特に、日本列島においては、まったくの手つかずの自然というのは、ほとんどないそうだ。 だからといって、人の都合だけで作り替えられたかわいそうな自然・・・なのではない。 確かに、近代の人間の生活の変化により、かなりなダメージを受けているのも事実である。
近年、自分の都合(自然に親しむ、世界遺産を見たい等)で、生活区域ではないところへ 日頃の人間中心の生活態度のママ入り込み、そこに暮らす他の命を脅かすような心ない行為が散見されるのは、 日本人として、哀しく、はずかしい。自分の生活区域外のところでは、そこでの理、掟に従うのが、命あるものとして当然である。
実りや景色、空気などの恩恵を受けるだけ受けて、少なからず迷惑をかけているのに、 あとは勝手に生きて再生しろと放置する。どれだけ傲慢なのか。 

が、過去にも森林や水系を中心に生態系が破壊されたことは何度もあり、それに気づき憂慮した 人々の手によって再生してきているのが日本の自然なのだという話を見聞きしつつ生きてきて、 自分の周囲の自然というものに対していだいている感覚からすると、自然を支配者然として保護するのではなく、 その構成要素としての自分の周囲の環境に、自分の心身の健康管理をするのと同じく、 友人や知人、家族を気遣うのと同じく、日頃から気に掛け気遣う行為こそが原点だと思うようになった。
適度に自分の周りの環境(人も動植物も含め)を気遣い、できることがあればやる。反対に恩恵を受けたら感謝する。
それだけでもかなりな改善ができると思う。

そうしてみると日本では、どんな都会の片隅にも沢山の自然が息づいていて、 四季を通じて、互いにうるさいくらいに働きかけていることに気づく。
自然は、頭の中の理想郷にあるのではなく、テレビのドキュメンタリーの映像の中にあるのでもなく、今、この瞬間感じた、風や空気の匂い、日射しや枯れ葉の色、音、水の流れ、路地を横切る猫や烏、窓に巣を張る蜘蛛・・・存在する全てだ。

親戚の女性は、虫などが大嫌いで、野生のものはあまり好きではない。が、那須に暮らすようになり次第に自然と仲良しになってきた。
昔は、綺麗な花を季節毎に買ってきて庭に植えていたのだが、今年は花壇に種を蒔き、苗を植え、草刈りをし、間引きをし、水や肥料の面倒を見て、台風や大水が来ると、やきもきし、ダメになった作物にガッカリし、ダメと思った作物から再び発芽し育っていくのを嬉々として話してくれるようになった。虫も前ほどは嫌わない。共に生きていること、お互いにうまくやれるポイントさえみつかれば、楽しく共に暮らせると分かったということだろう。
おそらく周囲の自然のものたちは、彼女が気づいてくれることを気長に元気に待っていてくれたのだと思う。

まぎれもなく私も、そうやって自然に生かされて育まれてきた。

 

 

 

[photo & words by 維]